2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧
これまでに何かひどく汚い物質にまみれたことのある人はいますか? 仮にそう聞かれたなら(一体誰がそんなことを聞くのだというのはさておき)、私は真っ先に手を上げるだろう。つい昨日、土曜のことだ。 そっか、ちょっと歩くけど、白山で降りてあの店に寄…
挨拶がラインやメールの時代になっても、私は年賀状と暑中見舞いは毎年手書きで出している。 この形でずっと続けていきたいけれど、とても難儀なことがあった。それは新潟に住む友人宛てに出す時で、 苦手な漢字があり、いつも住所を書くのに四苦八苦してい…
零二は、自身の堕地獄への畏怖を覚えていた。それは、永久とも思える時間に生き死にを繰り返す大地を、ただ傍観するのみであるからであった。 (すまんな) 彼は、とある任務のために高度200キロメートルの熱圏を飛ぶ航時空機、いわゆる『Time Machine』の機内…
日本海は寂しい。目に映る夕景が全ての孤独を、心の中に映し出される孤独な波を、現しているかの如く。 何処か人が消えた、さすれば地上の果ての様な景色を眺めていると、自分ひとりだけがこの場所に取り残された気分になる。また、波は、いつか、同じように…
明和七年(西暦1770年)の七月の日の沈みかけた黄昏時。夏のつづれさせ蟋蟀(コオロギ))が翅を震わせ、ときおり水田を撫でるようなそよ風に紛れて「リィリィリィ……」という音がした。 いよいよ夕日が没し、耕作地の脇に拵えた小屋に、一人の若い男が現れ、…
夏の陽射しが照り、遠方ではもくもくと雲の峰が立ち昇っていた。新発田藩の下級武家の娘、お鈴は、ひそかに稲荷へ詣でることが日課となっていた。加治川の東へ渡り、群生した蒲の葉より茎を伸ばした円錐形の花穂を、一つ一つ手持ち無沙汰に手で弾きながら畦…
明治二十三年、小千谷収税署に勤めていた山内宇助は、西洋建築の窓枠から、かすかに覗く外の景色を見やった。まだまだその所在地においては、旧体制と西洋文明が入り乱れており、人力車を押す車力の中などは、髷を意地でも辞めない者もいた。最近では、取り…
バスを降りると風に身体を洗われた。そう感じるほど、純度が高く澄んだ空気だった。 自動車免許を取るため、新潟県の新発田市にやってきた。当初大学の友達と一緒に来る予定だったのだが、都合がつかなくなり一人きりの合宿となってしまった。寂しいとかはな…
静まり返った部屋に、お経が鳴り響いた。 今日は、父さんと母さんのお通夜。 「まだ若いのに一人になって、かわいそうに」 周囲から、僕を哀れむ声が聞こえてくる。お経が終わると、僕は親戚たちにお茶を出す。 「ケイくん、いつでも頼ってちょうだいね」 「…
「きょうの予約は午後からだから……」 ナツミは、いつものように午前五時頃、目を覚ました。 彼女は、新潟市中央区の一角に建つ、こじんまりとしたマンションの二階に住んでいた。 そして二十八歳になる彼女は、この街で個人のマッサージ師をやっていたのだっ…
親父のスバルに乗るのも、恐らくこれで最後だろう——そんなことを思いながら、過ぎゆく新潟の景色を俺は眺めていた。車はちょうど萬代橋にかかり、信濃川がいつもと変わることなく悠々と流れていた。そこにひらひらと、名残雪が舞い落ちていた。 「お前には………
令和の米騒動なるものがあったらしい。 らしいというのは、自分の関係ないところで起きて、いつの間にか落ち着いていたからだ。 ド田舎の田んぼ持ちの我が家には、まったく影響は無かった。今では地区の農業法人に任せているが、福井豪雨で機械がダメになる…
ある日、新潟の農業の現場に、一人の青年が現れた。彼は、端正な顔立ちで、いかにも都会のエリートというような風貌であった。彼は、関西の一流大学農学部を卒業した後、大手の食品メーカーに就職したものの、大企業の雰囲気等に上手く馴染むことができず、…
「お昼ご飯いつもパンだよね?好きなの?」そう先輩に言われたので『そうなんですよ〜』と私は愛想笑いをするしかなかった。 大学卒業と同時に東京の小さなデザイン会社に就職して2ヶ月が経った。生まれて初めて新潟から離れたので最初は戸惑うこともあった…
もうだいぶ昔の、思い出の話だ。 その日、早めに仕事が終わり、会社を定時であがりになった。 仕事の余韻を払い落とすように、私は一人、電車のルートを普段とは少し変えて、古書店街に向かったのだ。 残業したらなかなか閉店前に訪れることの出来ないが、そ…
「ね、買ってよ」 そう言って、母の袖をつかみながらねだる。 「今日はだめ、また今度ね」 母は声をひそめながら、僕をなだめる。僕はしゅんとなって、その場でうつむく。断られたのは、今日で二十回目だ。でも、僕はあきらめない。いつか買ってもらうのだ。…
そのお店は、橋を渡り大通りから少し入った小路にあった。SNS映えするオシャレな店が軒を連ねるエリアの一角にある、古民家を改装したらしきそのカフェには、ひとつだけ不思議なルールがあった。 「いらっしゃいませ。窓際の席にどうぞ」 案内された窓際は、…
スベリヒユの黄色の花弁が眼の隅を掠めた。その一瞬に、痛みというものが薄らいだ。しかし、その後すぐ、遠のこうとする意識を、引き戻す痛みが襲った。両方の引き合いが、より痛みを強めた。意識を失えば、楽になることは感覚で理解できた。 無理に下唇を咬…
フイルムにあの日掬い取った画像が浮かび上がった。あらゆる色彩が時間に濾過されてモノトーンに移し変えられていた。黒と白の粒子が重なり合いどちらかの濃淡を強めた。 光彦は、撮った写真はすぐには現像しない。カメラに閉じ込めておき、過去の記憶が風化…
—わたしは《やきゅうのかみさまです》 わたしは、やきゅうが、すきなこどもが、だいすきです。だから、とおるくんの ことが、だいすきです。とおるくんのために、やきゅうの《ちけっと》をおくります。 やきゅうをみるときは、おいしゃさんの、いいつけを、…
定年と同時に会社関係者に年賀状じまいをした。翌年の年賀状は激減した。浮き世のしがらみと積年のストレスから解放されたようで、実に爽快だった。古希になったら親戚も切ろうと思う。 年賀状といえば彼のことを思い出す。 コンピュータの2000年問題で…
体調を崩した祖母の見舞いのために、私は青戸の病院に向かった。この日も三十六度の暑い日だった。病院は自宅の柴又からは乗り継ぎが不便だが、勤務先の新小岩からはバスで十分ほど。三十分だけ仕事を早退させてもらい、環七経由のバスに乗った。 病室の祖母…
俺は小林渡、新潟大学工学部の二年で材料科学を学んでいる。所属ゼミでは解明してきた物質科学を活かし、革新的なMRIを開発するために医学部とも連携している。実現すれば、俺の母のように手遅れになる前に、病気を見つけられるだろう。 夏休みは終わった…
私は羽越本線の車窓から、あと一時間半ほどで真西に沈む夕日をぼんやりと眺めていた。しばらく乗る機会がなかったが、海に沈む夕日のマジック目当てのカメラマンが、この車両にも数名乗っていた。 海上にかかる薄い雲と相まって、時空が重なるような錯覚に陥…
プロローグ 思い出は花の中に 新潟県胎内市の春が訪れた。長池憩いの森公園では、毎年恒例のチューリップフェスティバルが開催されていた。約七十種類、八十万本のチューリップが一面に広がり、訪れる人々の心を癒している。色とりどりに咲き誇るチューリッ…
銀杏の葉が、微風に揺れていた。無数の扇形が町を黄金色に彩り、実をつけている木もあった。しかし、僕は美しい風景に見惚れている場合ではなかった。「妻の出産が近い」という連絡を受けたのだ。手についていなかった仕事を午前中で切り上げて、大急ぎで病…
悲喜こもごもとは、複数の人間の感情が入り混じっている時ではなく、一人の人間の複雑な感情を表現するときに使うものなんだよなぁ。 私は中学生の時に担任の先生に教えられたことをふと思い出した。 ゴールデンウィークの思い出を作文にするという宿題が出…
墨汁を硯にたらりと落とす。真っ黒な水面に私の顔が揺らいでいる。独特な墨のにおいを肺いっぱいに取り込んで、教室の外に降り積もる雪に目を向ける。白と黒のコントラスト。最近はぐっていないアレに似ている。一度だけ手伝ったアレに似ている。 「由紀(ゆ…
関白、豊臣秀吉はわるいことを思いついた。 「久太郎が死んだ今、堀の御家をつぶすがや」 秀吉は天下を獲った。そこで用済みになる堀家を改易しようと使者を送った。 堀家は越前(福井県)の大名。亡くなった久太郎こと、堀秀政はその昔、秀吉の子飼いから戦…
「慈眼寺」 という真言宗智山派の寺が、新潟県小千谷市にある。長岡市からは10キロ弱南に進んで、信濃川を西へ渡る。 慶応四年(1868年)、この寺で、越後長岡藩家老・河井継之助は、新政府軍軍監・岩村精一郎との和平会談に臨んでいた。 (土佐の片田…