にいがたショートストーリープロジェクト2026

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ナツミと「えっ」 たを佳吹 著

「きょうの予約は午後からだから……」

 ナツミは、いつものように午前五時頃、目を覚ました。

彼女は、新潟市中央区の一角に建つ、こじんまりとしたマンションの二階に住んでいた。

 そして二十八歳になる彼女は、この街で個人のマッサージ師をやっていたのだった。

 やがてナツミはゆっくり起きて着替えると、テーブルにスナックパンやサラダを置き、座ってホッとする。ふとベランダに近付くと、サッシを開けて空を見た。

「ん、きょうも空は元気そう」

 ニッコリしてサッシを閉めようとした時、雑然とした角っこで音がした。ナツミがそーっと見てみると、小鳥が一羽うずくまっていて、ピー、ピーと弱々しく鳴いている。

「えっ。……ちょっと待ってね」

 彼女はキッチンで、白い小器に水を入れてから、愛飲のミネラルウォーターを少し混ぜて、その小鳥の前に、そーっと置き、

「これで元気になれば……」

 サッシを閉めると食事を始め、テレビのリモコンを手にした。

 やがてナツミは食べ終えると、食器類をキッチンに移し、サッシを開けてみた。すると小鳥の姿はなく、小器のそばに一輪のチューリップがあった。

「えっ。お礼のプレゼント?」

 そして上を見ると、小鳥が一羽いて、チッチッと元気そうに鳴いた。よかった元気になって……と思った瞬間、ふっと飛び去った。

 ナツミは、小器とチューリップをテーブルに移すと、

「ちょっと、お散歩タイムしましょう」

 ブラウン色のショルダーバッグを取って、マンションを後にした。

 ナツミが表どおりに出ると、通勤・通学のためだろう、十人ほどの男女が歩いていた。ナツミはフー……と深呼吸すると、彼らとは少し違う歩調で歩みだした。

 ナツミは、しばらく行ったあたりで足を止め、その道の奥に目をやった。

「そうそう、あのあたりだった……」

 それは数年前……ナツミがマッサージ師を始めた頃……散歩で、この道にフラッと入ると『ヒロ』という小さなカフェがあったのだ。

そしてナツミが、なんの気なしに入ると、六帖ほどの店内に客は皆無だった。奥のカウンターにいた、三十代後半くらいのマスターらしき男が、笑顔を見せて、

「はい、いらっしゃい」

 ナツミはちょこんと会釈して、カウンターまで行って座った。

「おはようございます。ご注文は?」

「えっと……アイスコーヒーをください」

 横の窓から万代橋が見えていた。

 それから少し雑談して、アイスコーヒーを出しながら、マスターが、

「はい、サプライズです」

「えっ、このコーヒーの名前、サプライズなんですか?」

「なんかコーヒーって、サプライズ感があるでしょう。だから」

「なるほど……。でも、サプライズなら、何か付けてください」

「そうきましたか……。だったら、僕の話を付けましょう」

「はいはい。どうぞ」

「実は僕、若い頃にインドへ行ったことがありましてね」

「へー、カレーの勉強に?」

 ナツミは、いたずらっぽく訊いた。するとマスターも笑いながら、

「いえいえ、ちょっとした気まぐれで」

「そうでしたか……」

「でも、あるサプライズを得ましたよ」

「どんなサプライズを?」

「口では上手く言えなくて……。音楽でも聴きましょう」

 すっと奥へ入った。ナツミはクスッと笑った。すると一匹の白いトンボが、後方から飛んできて、ナツミのグラスに止まった。それを見たナツミは「えっ」と言ってから、

「マスター、ひょっとして、これがサプライズですか?」

 彼は顔を出し、そのトンボに気付くと、

「いやいや、違いますよ。だけど、めずらしいトンボですね」

 ナツミが白いトンボに視線を戻すと、もういなかったので、彼女はまた「えっ」

 やがてナツミも好きそうな、クラシック風の音楽が流れ始めた。

 まもなくナツミは、その店を出た。

 そんな思い出を浮かべながら、ナツミが行きかけると、バッグのスマホが鳴った。それは午後の最初の客からで、少し後に来てほしい、という変更のメールだった。彼女は了承し、マンションへ戻って行った。

 ナツミは自宅に戻ると、途中で買ったコンビニ弁当を昼食として食べた。

そしてナツミはタクシーで、この街の中ほどにある有名な和菓子店に向かった。そこの若主人が午後の最初の客だったからだ。

 ナツミが乗ったタクシーが、和菓子店の近くに着いたのは、午後一時頃だった。彼女が下車しようとした時、店の勝手口に止まったタクシーから、見知らぬ女が降りて中へ入ったのだ。その女が持っていたバッグが、ナツミのそれと似ていたので、ナツミは、もしや……と思い、反対側にある別の勝手口から、人目を気にしながら入った。

そしてナツミはバッグを、廊下の途中に置くと、店舗の裏にある主人の住まいの中庭まで入っていった。

すると、若主人、黒崎浩士の部屋から、楽しそうな男女の会話が聞こえてきた。ナツミはムッとし、部屋の近くにある水槽を引っくり返した。その中には、黒崎が飼っている金魚がいて、水と共に流れ出してしまった。

 その音に「なんだ、いったい!」と黒崎が障子を開けた。直後、ナツミと目が合った。

ナツミは、あっと思った瞬間、その場に倒れてしまった。黒崎は溜め息とともに「しまった……」とナツミのそばに行った。

 店舗と少し離れていたせいか、関係者は誰も見にこなかった。

 その部屋にいたさっきの女は、血相をかえて「失礼します」と帰っていった。

 黒崎はナツミを抱き起こすと、

「大丈夫ですか?」

 その声にナツミは目を開け、

「申し訳ありません。私、とんだ事を……」

「悪いのは僕の方です。あなたに内緒で、別のマッサージ師と会ったから。実は、あれは親戚の娘だったんです」

「そうでしたか……。すいません。あっそうだ、あなたの大切な金魚は?」

 立ち上がった。すると、その下にグッタリした金魚がいた。それを見た黒崎は、

「間に合うかも知れない」

 近くにあった透明な器を取り、小池の水を入れてから、その金魚をそーっと入れた。そして、ただ見ているだけのナツミに、

「いつだったか、『ヒロ』というカフェでマスターをしていた時、あなた、僕のサプライズのことを訊きましたね。実は、こういうことだったんです」

 黒崎は片腕を服から出すと、その二本の指で、水底の金魚をはさんだ。そしてその腕の上部を噛んだのだ。すると、その二本の指がピカッと光った。直後、金魚の口がパクパクと動いた。

 それを見たナツミは、思わず「えっ」と言った。まもなく金魚は、黒崎の指間から離れて、元気に泳ぎ始めた。ナツミは、

「あら、まぁ」

「よかった」

 まもなく部屋から、黒崎のスマホのコールが聞こえたので、

「ちょっと失礼します」

と戻っていった。ほっとしたナツミが、なに気なく金魚を見詰めていると、金魚がニッコリして、口をパクパクした。するとナツミの頭の中で、

『あたし、彼の妹なのよ』

 またナツミは、「えっ」

(了)