2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
カーテンを外すとこんなに寒いんだと思った。いま、レースのカーテンを洗っている。仕事休みの礼子はひさしぶりに翻訳ミステリの読書にふけっていた。大掃除でいそがしい親を尻目にして。こたつが置いてある居間はテレビがつけっぱなしだ。礼子はなにげなく…
萬代橋の袂に流れる信濃川は日本一の大河だ。優雅に行き交うウォーターシャトルバスはここ新潟市の見慣れた光景で、水面の運河を航行する人々の交通網を保有しているだなんて何て優雅なのだろう。まるで、水の都ヴェネツィアを訪れたかの様な気分になる事必…
日本海からの湿った風が運ぶ雲が、新潟の空一面を覆い尽くしているようだった。 その時の私は、営業車を運転していた。進んでいる道は、国道八号線だった。 ふと、ある看板が目に入った。 ああ、あれは…。 新潟への出張まで、私はまったく知らなかったが、ど…
「どこさ行ってたの」 祖母はそう言って泥だらけになった京華(きょうか)の姿を見下ろして唖然とした表情で告げた。 「田んぼに落っこちた」 「どぉ〜しょうば、なぁして、そんげんことになったんろぉか!? 子供等ぁは訳の分からんごぉぎな事なさる!」 祖母…
雪もほぼ溶け、木々の芽がいっせいに吹き始めた美人林に訪れた。 人も少なく静寂で、空気が新鮮に感じ、清々しい気持ちになる。 私はのんびりと林の中を散策した。間違いなく秋の紅葉は素晴らしいだろう。 人口のブナ林だけれど、ここの香りは気持ちをゆった…
思い出に彩られたビードロを窓辺に飾り立ててみる。そっと手で触れた、まるで小さなステンドグラスの箱庭のよう。 さながら手のひらの中でくるくると回すと光を発する、硝子の芸術品は、手の中で弾けた様な音を発して、特別な音色を奏でた。ぽっぺん、ぽぽぺ…
克彦は上越新幹線が好きだった。特に、独特の売り方を行う車内販売員の存在に興味を唆られていた。 何故か旅情を感じる上では欠かせない、あの独特なアナウンスの方法と、どこかアナログで古めかしさを感じる、昭和レトロな販売方法。 「笹団子は、いかがで…
帰省中ラジオから佐渡おけさが流れて来て、二人のパーソナリティーがこの民謡の魅力を語っていた。 三年前、百歳で亡くなった大正生まれの祖母はこの唄が大好きで、 「休憩しよか。ちょいとねーさん、こっちにきて、ご自慢の喉をを聞かせておくれでないかい…
子どもらと 手鞠つきつつ 霞立つ—— 私達の暮らしていた地域に古くから伝わる短歌である。良寛様という一風変わった、過去に実在していた僧侶の事を、詳しく知る人は今となって、どれ程存在するのだろうか。新潟県に暮らしていた私にとって、彼の遺した多くの…
しんしんと雪が降り積もるこの地域で、今まさに、私は重たい全属製のシャルを、ざく、ざくと、白い雪原に突き刺して、勝負を挑もうとしていた。 「いざ、勝負!」 何と戦おうというのだろうか? それは、果たして——雪、そのものであった。 「なんで、こんな…
陽月は、家族全員が集まる日を心待ちにしていた。大切な家族写真を撮るために、久しぶりに揃うことになったからだ。これまで、何度も予定が合わずに延期されていた。しかし、今日は違う。朝から晴れ渡る空が、陽月の気持ちを一層明るくさせていた。 新潟の冬…
2074年、佐渡ヶ島の金山が世界遺産登録50年を迎えた年、日本の科学界と世界の注目を集める大発見が行われた。それは、佐渡島周辺の深海で熱水噴出孔が発見されたことである。これ自体は決して珍しい現象ではない。熱水噴出孔は地球上の海底にいくつも…
新潟の山中にある温泉宿にやってきた。ひとり旅だ。 私はひなびた雰囲気と昔の建物が大好きなので、そこで宿泊することにした。 しばらく周辺の散策をしていると、近くの境内でにぎやかに骨董市が開催されているのを見つけた。 ワクワクしながらのぞきにいく…
こんな時、森さんがいれば―――。定時を過ぎて十七回目のため息がこぼれた。 客先からの再度の値下げ要求。部長に相談をすれば、そんなものうまいこと断ってこい! と一喝されるのがオチだ。 誰にも相談できずにうじうじ悩んでいたら、すっかり日は暮れ、一人…
角田岬灯台の前に女の人が一人、佇んでいた。神山雄介は、ここに来るまでの急な上り坂の階段で、切らした息を整えるために、大きく息を吸い込んだ。 ——灯台と、女の人か…。 〈灯台〉だけ、あるいは〈女の人〉、だけでは、想い至らなかったろう。〈灯台〉と〈…
とっつきにくい人だった――。 と、水野さんは僕のことを言うのではないだろうか。 それから、水野さんが新潟出身であることを僕が知ったのは一年半後。 それを聞いた時、僕は嬉しかった。その話しぶりから「恐らく理系」と踏んでいたのだが、もう一つ、「この…
さながら揺籠の様だった。まるで眠りへと誘う穏やかな子守唄を耳にして、安らかな眠りへと落ちて行くかの様だった。睡眠は眠りと安らぎの両方を齎らす、人間には不可決の行為だった。まるで人間には元からそうである筈であったと言わんばかりに、夢を見る機…
僕の一人娘が大学を卒業して、就職した夜。温めのふろに入りながら僕は、新潟大学の学生だった時にはできたけど、今はもうできないだろうなと思うことを、つらつらと考えていた。 娘の入社した会社は、きっと良い会社だろう。だって、娘が選んだ会社だからね…
新潟市の白山公園。昼下がりの静けさを破るのは、小鳥たちのさえずりと、どこか遠くから聞こえてくる子どもたちの笑い声。その片隅、雪音(ゆきね)はふと足を止めた。古びたベンチの下に、小さなダンボール箱が置かれている。中を覗くと、ふわふわの毛並み…
東京の高校2年生・航(わたる)は、どこか虚しさを抱えながら日々を過ごしていた。中学時代から続けていたサッカーを、つい先日、辞めたばかりだった。チームメイトとの人間関係に疲れ、次第に練習へ向かう足も重くなり、とうとう退部を決断したのだ。しか…
2028年、新潟県はその歴史に残る決断を下した。県域を3つに分割し、新たに「上越県」「中越県」「下越県」を誕生させたのだ。新潟県は縦に長い県の一つとして知られ、地域ごとに文化や生活スタイルが異なっていた。分割の理由は複雑だが、県民の声が最終…
青海川駅は日本で最も海に近い駅である。と言うのも、公式的に誰もがそう言っているので、そうに違いない。 海に近いと言えば、私の住んでいる家も、随分と海に近いのだから、青海川駅に負けず劣らず、海に近いもの同士、何だか親近感が湧いてくるものだ。人…
2025年、日本は大きな転換点を迎えた。東京の人口集中問題や経済格差、災害リスクを解消するため、現職の都知事はある決断を下した。 「首都機能を新潟へ移転する」 この発表は国中を揺るがせた。長年の課題であった一極集中の解決策として、地方都市へ…
明治四十三年の東京・浅草。にぎわう仲見世通りを歩く人々の間には、見えない恐怖が漂っていた。独身女性を狙った連続殺人事件が相次ぎ、町は震撼している。被害者は四人。すべて若い女性で、共通して和装を好む者たちだった。そして決定的な特徴は、全員が…
文具女子博。 日本最大級の文具の祭典。 わたしはこの日を待ち侘びていた。 入場して、最初に手に取ったのが[あまいおはじき]。 新潟県の長岡にある越乃雪本舗大和屋の商品だ。 東京に住んでいるわたしには普段ネット通販でしか手に入れる事が出来ない。 …
親父が死んだ。享年七十二歳。棺桶の小窓から覗くと、痩せ細って見る影もない親父がいた。いや、そもそも記憶違いかもしれない。元から痩せている人だったかもしれない。親父とお袋は、俺が中学三年生のときに離婚した。それ以来、親父とは会っていなかった…
あぁ、こんなにも骨ばっていただろうか。 ミルクガラスで出来たフルーツ皿を運ぶ小さく震える手を見て思う。「渋抜き、うまくいったねぇ。八珍柿にはねぇ、ヘタの方にたっぷりお酒を塗るんよぉ」 また、柿を切りに台所に戻ろうとする祖母が言った。 おばあち…
私は死んだ。 一週間前の夜、台所で茶碗を拭いていたとき、突然、視界が暗転した。——そして、82年の生涯は幕を閉じた。 今日は私の葬式だ。 私は天井近くをフワフワと漂いながら、葬儀の様子を眺めていた。親戚、友人、ご近所さんが集まり、それぞれ悲しげな…
おはよう。 昨晩はね、君の夢を見たよ。 夢の中で僕は胎内の町にいるんだ。僕たちの故郷のね。 そして暫く歩いて、海が見える丘に着いたんだ。昔よく遊びに行ったあの丘だよ。 丘の上に白い家がポツンとあるんだ。 ドアを開けたら、広い部屋が一つあって、奥…
対岸に煌めく灯りを背に信濃川は深淵を湛える。今晩、末田俊太は誰とも口を利きたくない。マッチ軸じみた身体を萬代橋の欄干にもたれて目を瞑る。戦車が来ても起きるものか。 幾つもの靴音が通り過ぎた後、鼻先の強い薔薇香に末田はのけぞる。 ベレー帽を被…