関白、豊臣秀吉はわるいことを思いついた。
「久太郎が死んだ今、堀の御家をつぶすがや」
秀吉は天下を獲った。そこで用済みになる堀家を改易しようと使者を送った。
堀家は越前(福井県)の大名。亡くなった久太郎こと、堀秀政はその昔、秀吉の子飼いから戦国の覇王、織田信長の小姓に躍進。
天下を統べる信長の最側近として、辣腕をふるった。
ところが家臣の明智光秀が謀叛。天下人になれなかった信長はこの世にいない。
かくして、秀政は秀吉に出戻り仕官。汗水垂らして、秀吉の天下獲りを助けた。
いくさに政。外交に調略。何をやらせても名人の域。だから「名人久太郎」の呼び声があちらこちらでその名が知られる。
しかし、秀政は病に斃れて、秀吉の天下を見ることなく、三十八の若さで亡くなった。
多大な功績を上げた秀政に対して、秀吉は非情にも堀家の改易を決意した。
「久太郎を除きゃ、堀の輩は役にたたんがや」
秀政には幼い息子、秀治がいる。しかし、古来より、幼君では国を治められない。
そうなれば、家臣同士が争い、内輪揉め。それを見越して、秀吉はいいことを思いつく。
「さっさとつぶして、誰か、入れるがや」
と、秀吉は即決。現実を突きつける独り言。
「情けは人の為ならず。あれは嘘だぎゃ」
数日後、堀家の使者に遣わされたのは利発な少年。当年、十三歳の小童。その名は……
(堀直寄)
秀吉は直寄に開口一番、素性を問いかける。
「久太郎の倅きゃ?」
「さにあらず。身共は筆頭家老、監物の次男、直寄にございます。こたび、関白殿下に物申したく。遠路はるばる、越前より罷り越した」
ギョッとするのは秀吉のみならず。遅れて現れる秀吉の側近、石田三成。
三成は不遜な態度が目に余る年少の直寄を戒める。
「なんたる物言い、無礼であろう。控えよ!」
だが、この少年。意外と肝がすわっている。
「されば、無礼ついでに申し上げる。先代の左衛門さま(秀政)亡き後、久太郎さま(秀治)が幼いゆえ、御家をつぶすとは何事か。天下を統べる関白殿下も愚の骨頂に御座候」
少年らしからぬ物言いに三成はおろか、
「こりゃ、たまげた」
と、秀吉は大笑い。
「おみゃあ、わしに仕えろ」
「は?」
「小姓に取り立てるがや」
「……是非に及ばず(仕方ありません)」
すると三成が声を荒げるが秀吉は大笑いでかき消される。
かくして、堀家は本領安堵が認められて、秀治の家督相続も認められた。
さらに直寄は秀吉の小姓に取り立てられる。
「官位も授ける。丹後守だぎゃ」
と、秀吉十八番の大盤振る舞い。
だが、直寄は不服そうに吐露する。
「恐れながら、丹後守より、関白が ……」
「頭に乗るな!」
と、三成が烈火の如く、直寄を戒める。
かたや、秀吉は腹を抱えて大笑い。
「こりゃ、面白い。おみゃあは名人久太郎に勝る武士になるがや。しかと、励め」
その途端、直寄は姿勢を正して、
「お褒めに与り、恐悦至極に存じ奉ります」
と、平身低頭。秀吉に平伏する。
それから八年後、秀吉の天下が落ち着いて堀家は越前から国替を命じられた。
場所は越後の春日山城(新潟県上越市)。もとは上杉景勝が治めていたが会津(福島県)の大名、蒲生氏郷が亡くなり、国替が決まる。
二十歳を過ぎた直寄は黒髪艶やか、ハリのある血色の良い若武者に育った。
その一方、白髪一色の秀吉は土気色。痩せ細り、枯れ木の如く、骨と皮ばかり。
対照的な主従は今生の別れを告げる。
「三年の間、親孝行のため、暇を頂戴したく」
「エエがや……丹後(直寄)、越後でしかと、親孝行を……ゴホッゴホッ」
「殿下、大事ござりませぬか?」
「あぁ、されば丹後、わしについてまいれ」
秀吉に追従して、直寄は本丸の西北にある天守閣に上る。
「丹後、見よ」
と、秀吉は天守閣から見渡す碁盤の目の如き、京の街並みを指さす。
「いつになく、活気づいておりますな」
「さればこそ、丹後。越後に京の都を模した町を作ってみるがや」
秀吉はこのところ、心身ともに衰弱して、妄言は日常茶飯事。だから、直寄は諭す。
「恐れながら、越後は夏暑く、冬は雪深く。京の都とは、比べ物にならないかと」
その途端、秀吉は二つの大きな眼をギョロっと動かして、隣に佇む直寄を凝視する。
直寄は蛇に似たサルに睨まれた蛙と化す。
「丹後、おみゃあなら……できるがや」
「……殿下」
すると秀吉は卒倒。意識が朦朧とする秀吉の身体を支えて、直寄は声を荒げた。
「殿下!殿下!誰かある、誰か!」
その後、直寄は秀吉の病状を案じながら、数年ぶりに国元の越前に戻る。秀吉の病状を主の秀治をはじめ、父に伝えた。
(堀直政)
通称は監物。直寄の父。齢五十を過ぎても若き頃から、厳めしい表情を崩さない。
先代の秀政。その倅、秀治を支える直政がいなければ、堀家は八年前につぶされていた。
だから、堀家の実権は事実上、直政のさじ加減で決まる。それと生来……口が悪い。
「やっと、くたばるか。欲の皮が張る禿鼠め」
直政の暴言に若き主君、秀治以下、家老衆はポカンと口を開けて、呆気にとられる。
禿鼠とは、秀吉のあだ名。その昔、信長に仕えた当初、嘲りを込めて、呼ばれていた。
ただし今、そんなことを口にしたら、切腹どころか、御家断絶も免れない。
「父上、それはあまりにも」
「直寄、お前、あの禿鼠に飼い慣らされて、呆けておるぞ。されば、国替の支度をいたす」
「父上、こたびの国替、なにゆえ越後に?」
その途端、直政は笑ったと思いきや、
「まだ、わからんのか? やはり、あの禿鼠に毒されて、うつけ者に変わり果てたか?」
「……滅相もない。されど、わからぬものはわかりませぬ。何卒、ご教示下さりませ」
と、直寄は平身低頭。
人は変わる。秀吉の傍近くで長きにわたり、仕えた直寄の立ち振る舞いに父は答えた。
「それはな、内府をけん制するためよ」
「内府?」
直寄は目を丸くして、厳めしい直政の顔を凝視する。
内府こと、内大臣、徳川家康。関東の覇者にして、豊臣政権の五大老筆頭。
秀吉が人生で一度も勝てなかったつわもの。
父は厳めしい表情で息子をやんわりと諭す。
「秀吉が死んだら内府 ……当家は家康につく」
「 ……承知しました」
それから間もなく、堀家は越後に国替。
しかし、一つ問題が起きた。
上杉の嫌がらせ行為で城のなかにあるはずのコメが一粒も見当たらない。
万一、いくさが起きたら万事休す。だから、直政は引っ越し早々、怒り心頭に罵詈雑言。
「おのれ、糞味噌の上杉め。十中八九、禿鼠の入れ知恵であろう。早うくたばれ。禿鼠め」
その一方、直寄は複雑な心境に駆られる。
直政と異なり、直寄は秀吉のよい面、わるい面を見聞きしているからこそ、葛藤する。
「……殿下」
そして、秀吉は亡くなった。直政の訴えも病気療養を理由に保留のまま。
その二年後、秀吉の遺志を引き継ぐ三成と家康が美濃の関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で激突。家康が勝利、三成は敗れた。
「勝ったな」
「はい。父上」
堀家は家康に味方した。上杉に扇動された越後の民衆が一揆を起こしたがすぐに鎮圧。
家康から本領安堵の沙汰が下された。
「城を築くと?」
「先日、京の都に模した土地を見かけまして」
今や、直寄は五万石の大名。大名であれば城持ちは当然。そして、父は息子に問う。
「いかなる土地か?」
「はい。遠目から長い丘に見えます。さらに申せば、いにしえの都、長岡京の如し」
「されば、長岡京を見たことがあるのか?」
「……ござらぬ。されど、伏見城の天守閣で京の都は見渡しておりました。太閤殿下と」
「やはり、死してなお、禿鼠に毒されるか?」
「……毒を以て毒を制す。にござろうか?」
その時、厳めしい父は笑い、築城を許した。これが現在の新潟県長岡市の由来とされる。