にいがたショートストーリープロジェクト2025

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観測者 西山宗一 著

 零二は、自身の堕地獄への畏怖を覚えていた。それは、永久とも思える時間に生き死にを繰り返す大地を、ただ傍観するのみであるからであった。

(すまんな)

 彼は、とある任務のために高度200キロメートルの熱圏を飛ぶ航時空機、いわゆる『Time Machine』の機内にいた。

(勘違いをしてしまったら楽やろうな、神にでもなったような気分やけど、それは我を保つためや)

 見下ろしている地球は、氷期と間氷期のサイクルの中で、温暖な間氷期にあった。この時期は海面が高く、特に関東は「古東京湾」という浅い海が広がり、千葉辺りは独立した島であった。

 零二は、気を紛らわすように、搭乗員の慎壱に問いかける。

「ほら、アレが富士山の原型やろ? 今よりも1000メートルぐらい低いとは言え、やっぱり分かるもんやな」と、零二は感心して、機体から見下ろしていた。

「B-29の乗員みたいだな」と慎壱は応える。

「はぁ? なにそれ」

「昔さ、日本と米国がさ、戦争しただろ?」

「おぉ、歴史でやったな。帝国主義時代最後のやつ」

「B-29っていう、当時にしちゃ考えられないぐらいの高さの空域を飛んだ米国の爆撃機があってさ。それが東京に向かうわけよ。その時、自分の位置を知るために、飛行士は富士山を見て確かめてたんだと」

「はぁ……。富士山ってやっぱり分かりやすいもんなぁ」と零二は改めて日本列島を上空から見つめた。海岸線の様相も、彼にはあまり見慣れぬものであった。

「あれ、佐渡島か? まだこの時やったら金銀取り放題やな」

「冗談でもそんなこと言うな。変な気は起こすなよ。どこで誰が聞いているか……」

「分かっとるっちゅうねん」

 佐渡島では、マグマによって加熱された地下水が、金銀を溶解し、断層に沿って上昇させた。その結果として、金や銀が沈殿し、多くの鉱床が形成されている。

「もし、佐渡島へちょっとでも介入することがあれば、航時法違反で逮捕される。この日本国という存在が危ぶまれる」

「らしいな、佐渡島は航時法でも最重要地区やし、それだけ金とか銀とかってもんは人類史に関わるんやな」

 零二は改めて列島の海岸線を目でなぞる。この時代、海水面が上昇し、かつては陸地だった場所が次第に水に覆われ、川から運ばれた土砂は、浅い海にたまり、浅瀬や小さな島々を形成していた。

 自然のリズムに従い、10万年ごとに訪れる氷期と間氷期の交互のサイクルは、地球の軌道や自転軸の変化によって引き起こされる日射量の変化が大きな要因となってる。

「始まるぞ」と慎壱。

 紀元前90353年2月1日14時5分、強い日差しの中、地響きと共に突如として噴火が始まった。火山岩塊が容赦なく降り注ぎ、逃げ惑うナウマンゾウの鳴き声が響く。オオツノジカが重たげに空を見上げた。その刹那、火砕の雨が降り注ぎ、次の瞬間には広大な草原が焼け、あたり一面が地獄のような有様となった。

「このあと何万年かは西日本は死のエリアになるんやな」と零二は言う。

 火山灰に覆われてゆく日本列島を、二人は寂しげに見つめる。慎壱は、ふいに零二を見遣る。

「こんな日に噴火したってのは、なんか因果だよな」と慎壱が感慨深く頷く。

 その日、九州島の阿蘇山が大噴火を起こした。火砕流の堆積物は、海を隔てた島原や天草にまで及んでいる。瀬戸内海に至るまでの動植物は瞬く間に死滅した。また、噴火で生じた火山灰は、北海道にまで及ぶ。これらの噴火活動は、大量のマグマを発砲させ、地上へと放出した。その結果として、地下には大きな空間が生まれ、やがて陥没が起こった。これが阿蘇地方に壮大なカルデラを形成するに至る。

「あいつら、やっぱり海に出るんやな」

 身長1メートル足らずのホモ・フローレシエンシスの群れが、沿岸から遠巻きに空が黒煙に覆われてゆくのを不安そうに見つめていた。ちょうど観測対象群Aとしていた佐渡島に暮らす彼らの群れは、いよいよ砕屑物が到達し、咽びながら呼吸器を焼いた。

 零二は、左手首につけていた数珠を両手に合わせて擦り合わせた。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。無闇に手を貸されへんねん」

「数珠か。気休めだが、オレもそういう宗教的なアイテム持ってくればよかったな」と、慎壱は壁の時計を指差す。

 紀元前90353年2月1日14時10分、水星の太陽面通過が始まった。合わせて、月と地球から水星の太陽面通過が同時に発生した。水星が太陽と観測地点の間を通過する際、月と地球の両方から観測できる稀な出来事だった。続いて、2月3日には土星で水星の太陽面通過があった。この通過もまた特異現象である。2月7日には、地球と月、さらには土星で金星の太陽面通過を観測。複数の天体から同時に金星の通過が見られるのは、軌道の配置が特殊な場合に限られる。2月8日には、土星から見た月と地球が同時に太陽面を通過。地球と月が同時に太陽面を通過するのは、珍しい配置である。

 これら現象を"観測"するために、零二と慎壱はこの時代へ来た。明確に天文学的価値の高い出来事といえる。が、現地時間を過ごす人類が、これらを認識することは誰一人としてなかった。現生人類のホモサピエンスに至っては、アフリカ大陸を出ていない。

 人類は、誰も認識していない。これが、零二や慎壱たち人類には問題だった。土星からの観測を終え、慎壱は、安心したようにため息をついた。

「確定したな」

「意味あんのかなコレ」

「よく言うだろう。『太陽が明日も東から昇ることが証明できるのか』という難問だよ。自然法則の存在理由に関わる深い問いを提起している。ましてや、遠い過去なんて、現生人類は宇宙の存在すら分かってるのやら」

 腑に落ちないと言ったように零二は首を捻る。

「えらい古典的な、人間原理な話やんな。それが観測せなあかん理由言うんが、未だによう分からんで。そんなことよりや、現役のナウマンゾウを見れた方が貴重やろ」

「ナウマンゾウは化石が残ってるからな。天体ショーは、後には残らないだろ?」

「違いがよう分からん」

「うん。まぁな。俺は彼らかな。ホモ・フローレシエンシス。感動したよ。観察対象群B、さっき千葉に逃げ切った。さっき、火を囲んで飯食いながら普通に談笑してただろ? やっぱり人類なんだなって思うよな」

 刹那、強い太陽フレアが発生する。

「えらいこっちゃ! コレは聞いてへんで!」

 夥しい数のプラズマ粒子が、大気の酸素や窒素の分子に衝突し、激しく光を放つ。まさに今、彼ら二人のいる熱圏で発生した現象だ。

「綺麗だな。船内からオーロラ鑑賞とは風情があるね」

「……」

「おい、どうした?」

「あれ——見てみぃや」

 モニターに映し出された観察対象群Bのホモ・フローレシエンシスの群れの中の一人が、空をじっと見上げている。

「ん? 地上からオーロラが見えてるんじゃないか?」

「いや、なんか、見られてへん?」

「……はは、まさかな」

「いや、そんな訳あらへんのは百も承知やけどな……こっち向いとる気がしてしゃあないねん」

 群れが移動しても、その一人は、じっと立ち止まって虚空を見つめ、ふいに人差し指を天に指した。

——まるで、零二と慎壱に見られていることに気がついているかのように。

〈了〉