ワタリドリの鳴き声が聞こえてきた。
ホウホウというその声が、早朝と夕方に響き渡れば、冬のはじまりのお告げ。
(あぁ、今年もまもなく新潟の白い雲に覆われる冬がやってくるんだなぁ……)
まだ青さを残した空を、悠々と翔けていく白翅の輝きを見上げながら私はぼんやりと思う。
私自身をたとえるのなら『ワタリドリ』だろう、と。
なぜなら、彼ら同様、住みやすい場所を求めて、あちこち移住してきたからだ。
ワタリドリに妙に親近感を抱いたのは、ひょっとしたらそれが理由なのかもしれない。
大学卒業と同時に上京し、東京の大手会社に勤めたあと、私はメンタル不調による戦力外通告に遭い、泣く泣く故郷の新潟に帰省することになった。
既に兄が結婚をしており、お嫁さんのいる実家に転がり込むわけにはいかずに悩んでいたところ、元彼から連絡が入った。戻ってきているなら、俺たちの関係も前のように戻ろうなどといった甘い声に、疲れ果てていた私は羽を休める場所を求めにいったのだった。
しかしその後、彼氏の浮気が発覚してあっけなく振られた私は、結局はそこからまた飛び立つことになり、離れた場所のマンションで独り暮らしをはじめた。
あっちに捨てられ、こっちに捨てられ、どこにもいる場所がないような気がしていた。
(ああ、もうしんどい。疲れた……休みたい……)
これ以上どこにも行く気力がない。
切に願うのは、ただひとつだけ。心が曇ることのない日常だ。
そんなある日、私に『推し』ができた。
生き甲斐に感じていた仕事から離れ、いっそもうこの職業を辞めようかと思ったある日、ライブ会場で輝くアイドルに出会ったのだ。
また新しく飛び立つ場所ができた。
その日から、私の居場所は推しのいる場所になった。
推しに心を救われて夢中になっていく間、摩耗した心はだいぶ癒され、本当の意味での羽休めになった気がする。
しかしふと私は迷いを抱いた。推し活では、地方の壁を度々感じることがある。新潟は中心地でない限りは車がないと不便だし、真冬は積雪に苦しめられることが多い。推しに会いに行けないフラストレーションが積もり積もって、とうとうまた都会に住みたいなどと思いはじめたのだ。
あっちに行ったり、こっちに戻ってきたり。
――私はまたワタリドリになってしまうのだろうか。
そんなある冬の日、雷鳴のごとく私の中に閃きが起こった。
推しのイベントに参加するために東京に行った、その帰りの新幹線のホームをくぐった時だ。
イベントの余韻を感じながら新潟駅に到着すると、なぜだかわからないけれど、脱力感と共にホッとしていた。
フラッシュバックするのは、最初に東京から出戻ってきたときに見えた新潟の冬の景色だった。あのときの私はどうしようもない現実に負けて打ちひしがれて、わんわんと泣いたはずだった。そのことが、同じ季節の中、懐かしく色鮮やかに蘇ってきたのだ。
(あのときはもうダメだと思ったのに、ちゃんと私……呼吸できている……)
推しに会えた嬉しさと、その直後にやってくる寂しさは、あの日、自分自身の不甲斐なさに泣いたときと同じように、ここに帰ってきた途端ホッとした心境と似ていた。
こんな私にも迎え入れてくれる場所がまだあった。
私を癒してくれていたのは、何よりこのホームから見える故郷の景色だったのだ。
推しは遠くにいる星。そしてここ新潟は都会過ぎず田舎過ぎず、喉越しのよい日本酒がゆっくりと癒してくれ、程よい時間が流れていくオアシスのような場所。
冬は曇天、雪が降る前に雷おこしという雷鳴が鳴り響き、吹きすさんで真っ白になることも、穴を掘らなければならないくらい雪が積もって大変な日もある。いちいちお天気に左右され、新幹線や電車が動くかどうかも賭けになる。道路が凍っていないか、あれからもっと積もっていないか、気になって目が覚めることもある。色々とめんどくさい。
けれど、どこか暖かく感じるのは……私の中に、郷愁の心が灯っているからなのかもしれないと気付く。
なんだか、すごく嬉しくて照れくさいような感情が芽生えた。
急に鼻のあたりがつんとした。きっと、それは風がまだ冷たいせいじゃない。
じんわりと滲んだネオンの先に飾られた、アイラブ、ニイガタ――の文字アート。
どこからかオレンジ色のレプリカユニフォームを着た人たちが口ずさむアイシテル、ニイガタ――の賑やかな音楽。
ふっと目頭が熱くなって夜空を仰いだ。
チラチラと雪が舞い降りてくる中、私は思う。
……あぁ春が待ち遠しい。まだまだ冬は続くのだろう。
桜の花びらが舞い上がるその季節を、ここで恋焦がれて待つというのも、また情緒があっていいじゃないか。
そんなことを考えながら、私はここ、寒くて暖かい――故郷の新潟で、また推しに会える日を待つ『ワタリドリ』となることに決めた。
自然と、私の頬が緩んで、明日という日がいつもよりもずっと楽しみになっていた。