消える火の玉 尾ノ池花菜 著
新潟の長岡市の実家。夏休みを利用して帰省した。
大学生の私は、人生の夏休みも含めてこのロングバケーションを謳歌している。
実家は落ち着くと同時に、久しぶりに帰省をすると変な気持ちがする。私のなかの一部がもう実家でないような気持ちさえしてくる。
時の流れのうつろいがむずがゆく感じられる。
今回の帰省における楽しみのひとつが、長岡まつり大花火大会だ。私の実家の自慢できるポイントは数少ないが、花火が二階の窓から一望できるのだ。長岡の花火大会は全国的にも有名で、会場内の観覧は有料であり競争率が高いらしい。観客が全国から何千と押し寄せるのだから、実家の価値がこの日だけは爆上がりであった。
花火大会の前日。私は奇妙な夢を見た。
ぎゃああああああああああああああああああ。
私の腕のなかに、真っ赤に燃えた赤ちゃんがいる。体はすでに炭化が始まっている。赤ちゃんは不思議と熱くない。私は必死にあやすが、全く泣き止む気配がなかった。
「おーよしよし、いいこだね。泣かないで」
私は必死に赤ちゃんを揺らし、背中をとんとんした。変顔や自分の体を小刻みにゆらした。しかし、依然として泣き止む気配がない。
「私、知ってるよ。水が欲しいんだよね」
なぜかそんな独り言を発していた。夢のなかなので、私の行動について、私に制御できる力がないのだ。
私は自分の左手首の脈部分を右手の爪で強くひっかいた。不思議と痛くない。
滴ってきた血を赤ちゃんの口元へ寄せると、少しずつ飲み始めた。
――そんなところで目が覚めた。
長岡の花火大会。腕のなかの燃えている赤ちゃん。
昭和20年8月1日にアメリカの爆撃機が飛んできて、千四百人以上が亡くなったらしい。花火大会はもともと慰霊のために始まったのだ。きっとあの赤ちゃんは、母体から生まれることもできず、母の胎内のなかで死んでいったのだろう。
「あれ、あんた。花火始まってるよ。二階から見ないの?」
庭先にうずくまる私を見て母が問いかけてきた。
「うん、もう少ししたら行く」
私の手元には、急いで買ってきた線香花火があった。
線香花火に火をつける。火の玉がぱちぱちと泣いている。火の玉は1分もせず、ぽとりと地面に落ちた。