にいがたショートストーリープロジェクト2025

にいがたショートストーリープロジェクトに投稿された作品を掲載しています

そんな小さなエピソード 圭琴子 著

 夏休みは博史(ひろふみ)と旅行に行くのが定番になっていた。

 東京に行ったこともある。海外に行ったこともある。

 でも付き合って八年も経つと、だんだんと行き先に迷うようになっていた。コロナ禍が終わらないこともあって、東京と海外は真っ先に候補から外された。

 温暖化で北海道も暑くなったけど、それでも湿度が少ないから過ごしやすい。道内で日帰り旅行はどうかと提案したが、それには博史は首を縦に振らなかった。

 珍しい。いつもあたしの希望を一番に聞いてくれるのに。

「新潟に行かないか?」

「えっ。なんで新潟?」

「映えスポットがあるんだよ。沙希(さき)、インスタ始めただろ」

 なるほど。あたしはズボラだからLINEも返事が遅い方だったけど、友だちの影響でインスタグラムを始めたばかりなんだった。まだ一枚も投稿がないことを、博史なりに気遣ってくれたのかもしれない。

「ほら、こんな感じの夜景とか……」

 熱心にスマホの画面を見せる博史がなんだかちょっと可愛くて、あたしは聞いているふりをして、博史の顔を盗み見て声なく笑った。

    *    *    *

 新潟旅行当日。博史が新潟には『六大ラーメン』があるのも調べてくれて、一泊二日でその全種類を完食しようと決めての出発だった。

「あー、お腹減った!」

 朝ご飯を食べないで始発の飛行機に飛び乗って、レンタカーを借りた。そのまま脇目も振らずにラーメン屋さんを目指す。まずは新潟駅前の『あっさり醤油ラーメン』

 空腹も手伝って、こんなに美味しいラーメンを初めて食べた気がする。

 急に自称ラーメン通になった博史が、「屋台が発祥だからすぐに茹でられるようストレート細麺」なのだとか、「チャーシューを煮込んだ醤油だれをスープにも使っているからコクがある」だの、得意そうにうんちくを垂れる。

 あたしはまた笑っちゃう。きっと一生懸命調べたんだろうな。

 それから、十日町市の清津峡(きよつきょう)に行った。テレビでも紹介されていた映えスポットだ。

 トンネルの向こうに日本最大級の雄大な渓谷がのぞめ、足元は水鏡になっている。裸足で水に入ると、ひやりと冷たくて夏にはちょうどよかった。平日だったこともあって、思ったより空いている。

 博史がまた「水面が鏡になるまで少し待った方がいい」ってうんちくを垂れるから、その通りにしたらテレビで観るような絶景が撮れた。

 あたしのインスタデビューは、この一枚になったのだった。

 ホテルは上越市に取っている。

 そのまま上越市に向かって、あたしたちは水族館でイルカショーやペンギンミュージアムを楽しんだ。あたしの好きなスミッコ倶楽部のコラボをやってて、レストランでコラボドリンクを頼んでこれもパシャリ。

 夕食では上越妙高とんこつラーメンも撮って、感想を写真に散りばめる。ホテルのアクアリウムも。部屋の窓からのオーシャンビューも。

 アカウントを取ってから一ヶ月弱も投稿ゼロ枚だったあたしのインスタに、写真がどんどん増えていく。

 ダブルベッドで横になって、博史に写真の加工の仕方を教わっていたら、その日はいつの間にか寝落ちていた。

    *    *    *

 次の日は新潟市に戻って、久しぶりの海水浴を楽しんだ。

「博史、日焼け止め塗って」

「うん。……懐かしいな」

「そうだね。北海道も海水浴場はあるけど、あっという間にシーズンが終わっちゃうから」

「いや、そうじゃなくて」

 あたしの背中に日焼け止めを塗りながら、背後で博史がぽつりぽつりと話す。

「沙希の背中に日焼け止め塗ったの、高校のときにグループで海行ったときが最初だったろ。沙希がさ」

 心なしか、声が弾む。

「遠回りしてまで俺のところに来て、日焼け止め塗ってって言ってきたとき、嬉しかったんだ。俺も沙希が好きだったから」

 奥手同士、そんな話は今までしたことがなくて、あたしはちょっと居心地が悪い。

「どうしたの、博史。急に」

 恥ずかしさを笑ってごまかそうとしたら、博史も恥ずかしかったのか、背中をペン! と叩かれた。

「なんでもない。はい、終わり!」

 それからは浮き輪で海に浮かんだり、ビーチパラソルの下でお昼寝したり、海の家でかき氷を食べたりして、夏を大いに楽しんだ。

 最後に、空港に行くまでの一時間を、展望台で過ごす。海や、これから帰る空港や、新潟市も一望出来た。

「夕焼けと、夜景が綺麗なんだ」

 そう言うくせに博史は、ちっとも景色を見ていない。なんだか凄く腕時計を気にしてる。飛行機に遅れないようにしてるのかな。

 あたしは窓ガラスに両手をついて、太陽がオレンジ色に燃え落ちるのを眺めて歓声を上げた。

「わー! 博史も見なよ。綺麗だよ」

「夕陽より……」

 そこそこ混雑してるから、博史の小さな声に、あたしは振り返って耳を澄ます。

「沙希の方が綺麗だよ」

「なにそれ!」

 あたしは博史が、渾身のボケを繰り出したんだと思って噴き出した。でも博史は、笑っていなくて。

「えっ?」

 戸惑うあたしの前に、博史がひざまずく。ポケットから、青い小箱が取り出された。

「沙希」

「待って待って……」

 あたしは動揺して周りを気にしちゃう。周囲のひとは、もちろんあたしたちに注目してた。

 博史の真剣な声が響く。

「高校の頃から好きだった。同窓会で再会して付き合い出したけど、俺甲斐性なしで、八年も待たせてごめん」

 小箱がスマートに開けられた。

 嘘。そうだよ、博史なんて甲斐性なしのくせに。なんでそんなに格好いいの。

 小箱の中には、プラチナに小さなダイヤモンドがひと粒輝くマリッジリングが光っていた。

「沙希さん。僕と結婚してくれますか?」

 あたしは口元を覆う。返事をしたいのに、涙が出て、喉の奥になにかが詰まったように声が出ない。

 周りに出来たひと垣が、固唾を呑んで見守っている。

「……はい!」

 力を振り絞って応えたら、思いがけず大きな声が出てしまった。

 ――わっ。

 一斉に、拍手と歓声がわく。

 こうしてあたしと博史は、新潟で婚約したのだった。

    *    *    *

「懐かしいわ……」

 あたしはインスタグラムの写真を眺めて呟く。そこには、新潟の大きく澄んだ夕陽をバックに、あたしにひざまずく博史の姿があった。

「お婆ちゃん、なにが懐かしいの?」

「この写真がね……うふふ」

「あー! あたし知ってる、これ昔のSNSでしょ。イン……ステ? なんだっけ」

「インスタグラムよ」

 今年高校生になる孫の舞奈(まいな)が、スマートフォンを覗き込む。

「えっ! これお爺ちゃんとお婆ちゃん?」

「そうよ」

「ヤバーい! 王子様みたい! ちょっと貸して貰っていい、お婆ちゃん」

 目をキラキラさせて頼むものだから、あたしは笑顔で頷き手渡す。途端、舞奈は書斎に突撃していった。

「お爺ちゃーん! これお爺ちゃんって本当ー!?」

 あのひとが恥じ入って困るのが目に見えるようだ。

「うふふ」

 あのときの幸せを思い出し今の幸せを噛みしめて、もうひとつ笑ってから、あたしは熱いほうじ茶を飲み干した。